月光山天徳寺 縁起 正慶元年(1332年)に五代当主宇都宮頼房公が建立した寺である。豊前国 衛在庁職の頼房公は築上郡本庄に若山城を築き豊後国東の泉福寺二世 蔵山融澤和尚を迎え「香火院月光山天徳寺」を開山し持仏寺とした。 のちに天徳寺は宇都宮氏の菩提寺となった。 時代は遡り鎌倉時代の初期、源頼朝の御家人職であった宇都宮信房公 (初代豊前宇都宮氏)が、頼朝の命で九州に入国し、広大な所領を得て 豊前最大の豪族として栄えた一族である。その活動範囲は九州全域に及ぶ、 それゆえ、鎮西宇都宮氏とも伝う。 時は流れて十八代鎮房公の代、豊臣秀吉の天下統一に際しては所領を失い 新参大名黒田氏と敵対し、ついには謀計の涯て天正十六年(1588年)四月 長甫 ・ 鎮房 ・ 朝房 ・ つる姫 家臣共々無念の生涯を綴じた。 しかし、お家断絶の機にあうも宇都宮氏の血は絶えることなく 徳川時代 (慶長~元和)細川・小笠原両家の御加護にて当寺も復興し、宇都宮氏菩提寺 として現在に至る。 天徳寺三十二世 大徹浩久 記 |